ここ最近、ずっと悩んでいた。
悩んでいたというか、考えが定まらなかっただけというか。
やっぱりわたしは「占い」を一般的な「占い」として扱っていないという再確認と、
だからこそ世間の多数派の「占い」の概念を受け入れられない部分もあるということ。
ずっと疑問に思っていた。
「占いとは」という定義について、
今まで誰一人として頷ける答えを出している人がいなかった。
業界では名の知れた、有名な先生と呼ばれる人でさえも。
だけど、つい先日、
ついにとても頷ける答えを出している人を見つけてしまった。
その人とは面識もなく、SNSもしていなくて
ブログでしかその人を知ることはできないけれど、
それでも十分な答えだった。
そのことによって長年の自分のモヤモヤが晴れ、
やはりわたしの「占い」に対する定義は
存在してもいいものなんだと
胸のつっかえが取れてスッキリした。
それと同時に、
「扱い方が違う人たちの中にいても自分を殺すことにならないか?」
という疑問も湧いてきた。
わたしが納得できない定義を否定するつもりはない。
それは意識の階層によって見えているものが違うだけで、
ただそれだけの話なのだから。
例えるなら、
「薬に頼ることは自分をかえってダメにする」という概念と、
「不調は専門のお医者さんに頼るのが間違いない」という概念が存在するだけで、
どちらが正しいとか間違いではなく、
単純に個人が信じるベクトルの違いってだけという話みたいなもの。
「占い」をどのような意図で使っているかによって、
もちろん読み取れる領域はまったく変わってくる。
それに、結果を「当たるか外れか」だけで判断するなら、
受取手(依頼者)の感触も変わってくるのは当然のことである。
残念ながらわたしの「占い」の使い方は
世間一般的な、雑誌の占いのような
未来に対する何か明確な答えを導き出すものではない。
そうではなく、
結果に向けて達成できる力を育てるための
価値観や可能性や思考から未来の可能性を予測して、
必要であれば事前に方向修正をかけることが可能である技術だと捉えている。
人間に与えられた「意識」や「感情」をどう使えばいいのか、
その方法を示すだけである。
なぜなら前提に「創造主は自分だから」があるから。
メディアに出ている「占い」は実に陳腐なものだ。
本当に「占い」をするなら、表に出てはいけないんだなと
改めて思った。
そうなると、会社という仕組みで「占い」をすることも、
ある意味微妙だ。
電話占いの闇がいい例だろう。
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